体験談

マリアージュのクライアント様から寄せていただいた体験談をご紹介いたします。
皆様の体験談に触れていただくことで、ご自分の体験や悩み、抱えている想いなどが「自分だけではなかった」と、そして「誰とも同じでなくていいのだ」と感じていただけたら嬉しいです。

体験談1:悲劇のヒロイン解体白書(石あ玉・40代)


初めまして。石あ玉です。
マリアージュとは3~4年の付き合いになります。通い出した理由は興味本位の本当に軽い気持ちで行き始めたのがきっかけです。
当初の私はというと、心身共に健康でごくごく普通に育って来た、と何の疑いもなく信じていましたのでカウンセリングやヒーリングなんて心の底では「自分には不必要な事」として捉えていました。

しかも、臨床心理士という職業の事もよく分かっておらず、心理学的な何か…ぐらいのイメージでしたね。
そんな私が、マリアージュに通い出した事によって、生まれて初めて自分と向き合うという作業に取り組む事となるのです。そしてようやく知るのです。
癒しが必要なほどの深い傷を心に持って生きている事を。

もちろん、私にとってはまさかの状況です。
え??心が傷ついてる?癒しが必要なほど?何で??私何かした??
まさに青天の霹靂。
恐ろしいまでに自分の事が分からなかった。
いや、分からない様にしていたんですよね。
今から思えば。。
そこから自分という人間を知る為の長い長い道のりが始まるのですが。まぁその長い長い道のりの話はちょっと置いとくとして。

で、自分を癒す為にマリアージュへ月一回通い始める訳なんですが、この"自分を癒す"という行為を思いっ切り履き違えていたんです、ワタクシ。
それに気付いたのは今からほんの1〜2年前ぐらい。セラピストからも私は不器用なタイプなので気付きに時間がかかると言われてはいたけれど、我ながらかなりの時間を要しましたね(笑)
私の思考回路がどの様になっていたかと言うと"セッションを受ける→心の傷が治る→人生が好転する→全てが思い通りになる"ってな感じで、嫌な事なんて何一つ起こらない、恋も仕事も全てが上手く行き、キラキラに満ち溢れた人生が待っているのだと。
これで私は幸せになれるんだ。完璧な人生が歩めるんだ。そう思ってワクワクしながら毎月通うんです。

よくあるこのワクワクというワード。この時私が感じているワクワクの正体は自分の下心が叶うかもという期待感に満ちたワクワク。本来ハートが感じるワクワクとは違う別の何か。
でも、そんな事とはつゆ知らず更なる期待が膨らんで行くのです。
そして、真面目な私は毎月欠かさず通い、セラピストの手助けと自分の頑張りとで少しずつ変化が見られるようになって来たんです。そりゃー、もう嬉しかった。
これで薔薇色の人生が手に入るはず。もう間もなく全てが上手く行くはず。はず、はず、ハズのオンパレード。
そんな調子で急げ急げと自分に鞭を打ち始める。
ん?おかしいな。こんなに頑張ってるのに何かが違う。あれ?まだ薔薇色の人生にならないけどどうなってんの??

こうなると得意分野の悲劇のヒロインになるのは一瞬で、頑張っても報われない運命なのね。なんて可哀想なワタシ。。てな具合でしっかりと役に入り込み、どーせ私なんてと拗ねてやさぐれて挙げ句の果てには怒り出す。
嗚呼、なんと厄介なヒロインなのでしょう。
そんな事を繰り返し、一進一退しながらもようやく気付くのです。誰かや何かが私を幸せにしてくれるのではない。私を幸せに出来るのは自分自身だって事に。

つまり一番伝えたい事は、自分の人生を委ねないで欲しいのです。自分の幸せを諦めないで欲しいのです。
かく言う私もまだ今もなお、自分と向き合い続けてる真っ最中です。そりゃね、時にはキーッ!もう辞めじゃー!ってなる時だってありますよ。あるけれど、それはそれで良いんです。
それでもやっぱり自分の幸せを諦めたくない。その想いと共に、また自分と一緒に手を繋いで歩き出す。
3歩進んで2歩下がる。結果1歩進んでる。
それでじゅうぶんやないかいってね。

End

体験談2:自分の心の鎧(よろい)がはがれて、軽やかになっていく場所(魔女見習い・30代)


マリアージュさんに通い出したのは、まだ伏見にお店があった頃からです。もう8~9年ほど前になるでしょうか。
初めのうちはしんどい時に駆け込ませてもらう場所だったように思います。誰にも話せない、分かってもらえない…そういった話を受け入れていただける場所でした。日常で自分の中のマイナスの感情を溜めていっては、マリアージュさんで吐き出して、0にするような感覚です。それはそれで、とても有難い場所でした。それが、最近はフラットな時にこそ行っている気がします。その方が余分な感情に自分が邪魔されないからです。マリアージュさんは“新しい自分になる、神聖な場所”になっていきました。マイナスから0ではなく、0からプラスになる場所。

私の場合は一気に変わった!というよりは、少しずつの変化でした。でも行くたびに確実に軽くなっていく、そんな感じです。
元々「これはこうあるべき」と決めつけが多かったのですが、マリアージュさんに通いながら年を追うごとに、そういった思考からどんどん解放されていることに気が付きました。そう書きながら今でも決めつけてしまっている事はまだまだある気がするなと自認しているのですが、これまではそれにさえ気付けていなかったように思います。そして、まだ気付けていない感覚やまだ見ぬ世界(自分のもっと心地良い世界)もあるのだろうと、前向きに思えるようになりました。

私にとっての“決めつけ”は、自分を守るための鎧でもあったと思うのです。「こうしていれば大丈夫だろう」「間違えないだろう」…でも、そもそも鎧という表現でも分かるように、攻撃を受ける前提で生きているということ。それでは重くてしんどくて当然だな、と思うのです。何が大丈夫で、何が間違いかも、私が決めればいいしな。今だからそう思えます。
「鎧を脱ぎます!」なんて考えて行ったわけではありませんでしたが、マリアージュさんに行くうちに「なんで攻撃されると思っていたんでしょう」「あ、鎧脱いでた方が快適で、楽なんですね」「もっと身軽になれる気がする」と徐々に体感していきました。
補足ですが、身軽になった分、自分が合わないもの(人)への感度も上がっています。もう鎧までは必要としていないものの、徹底的に合わないもの(人)を回避するようになりました。許容できなくなったという意味では一見キャパシティーが狭くなったかのように思えますが、元々要らない関係と思えば、見抜く精度が上がっただけですよね。私はこれで良かったと思っていますよ。

最後に、高次存在やストーンなど、私には見えない御力の助けを届けて通訳してくださるセラピストさんへ。
あなたの温かく愛に満ちた言葉と雰囲気に救われ、私はかなり良い方向に変わることができました。『ありがとうございます』の10文字では足りないですが、ここに最大限の感謝を籠めますね。ありがとうございます。どうぞこれからもよろしくお願いします。

End

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